獣医師 関まさひろの独り言

獣医師で著者の関まさひろが日ごろ頭の中で考えてることを独り言としてアップしていきます

全てに感謝

梅雨真っ只中。

 

午前中は土砂降りの雨だったのに、午後は青空も見えている。

 

目まぐるしく変わる天気に一喜一憂しながらふと思う。

 

雨は濡れるし寒いし気分が乗らないけど、晴れたら晴れたで、ジメジメ暑いと文句を言ってしまいがち。

 

人間とは何とわがままなんだろうと思う。

 

しかし、視点を変えるとまた違う感情が湧いてくる。

 

あのうっとうしい雨も、この後の生い茂る緑を潤し、汚れた大地をも洗い流す。山に降った雨は、土壌に染み込みピュアな水と生まれ変わる。

 

他の生き物のみならず、我々人間にも命の糧を与えてくれる。

 

またさんさんと照りつける太陽は、潤った大地や生物に元気とエネルギーを与えてくれる。

 

水で潤った植物は、太陽光を利用して他の動物に必要な酸素を光合成というシステムを使って生み出してくれている。

 

こう考えると、雨が嫌だ暑いのが嫌だというのは、単順に人間のエゴであり、勝手な考え方にすぎない。

 

大きな視野で捉えると、マイナスにも思えることが、実は全て我々に必要な物事であるのだ。

 

そう考えると、全ての物事や出来事は大いなる存在が与えてくれた、完璧な摂理の一部であることがわかる。

 

全てに感謝しながら、文句を言うのをやめて、大自然の摂理に則って生きていく努力をしようと思う今日この頃であった。

 

 

世界は動き続けている

久しぶりになりました。

 

最近色々とやることが増えてじっくり考えることができずにいました。

 

今回は、新型コロナウイルスが少し弱まってきて思うこと。

 

猛威を振るっていたコロナが最近少し落ち着いているように見える。

 

しかし、ちょっと気を抜くとそこから一気に再び再燃する可能性がある。

 

安心してた頃にその隙を狙ってウイルスが再び爆発的に増殖することにもなりかねない。

 

そんな中、周りの世界を見てみると、外に出ている人も増えているが、その格好にも変化が見られる。

 

以前はマスクは風邪や花粉症の人しかつけていなかったのに、ほぼファッションの一部になってしまっている。

 

すごい変化だ。

 

まだ仕事のやり方も、いざこのような窮地に追い込まれてみると、リモートで仕事を成り立てようと企業も努力していた。

 

そして少し落ち着いてきた今に至っても、リモートで仕事が可能であることを認識した会社はそのまま続けても行けるということがわかり、働き方の変化が現れた。

 

テレビを見ていても、リモートでの番組出演が当たり前になり、見慣れてきたし、それでも成り立つように見えている。

 

このように、窮地に立って色々思考を練ると、いざという時は対処できるように人間はなっていると思う。

 

つまり、このような世界を巻き込む大きな事件は、世界中の全人類の可能性を引き出して、さらなる進化をさせる一つの要因となっているとも考えられる。

 

自然災害の後の対策もそうだ。

 

みんなが経験から学びそれに対処できつようになることは、人類としての変化、進化になっているとも言える。

 

人類だけでなく全ての地上の生き物を含め、進化の渦中にいる。

 

それ故にそれぞれの進化の方法があると思うが、ウイルスも進化しそれに伴って人間も進化した。

 

色々考えると、結局は地球上のすべての存在は相互作用を及ぼしながら高め合っているのだと思った今日この頃であった。

 

 

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クモの巣

今日、ベランダの上に大きなクモの巣を発見した。

 

クモの姿を探すと、クモの巣の端っこの方に丸まって風に揺れていた。

 

しばらく観察していると、一匹の小さな虫がそのクモの巣に引っかかってしまった。

 

虫が暴れもがいてるうちに端っこにいたクモがサワサワっと寄ってきて、その虫のところにたどり着いた。

 

虫を捉えて食べるのかと興味深く見ていると、そのクモはいきなり引っかかっている虫の体の上にまたがり、何かクルクルやっている。

 

数秒間経ったあと、その虫はまるでミイラのように糸でぐるぐる巻きにされてしまい、クモの巣にぶら下げられていた。

 

これでやっと食事にありつけて食べ始めるかと思うと、なんとそのクモはまた端っこに行き、丸くなって風に揺れ始めた。

 

この一連の出来事を見ていてふと思った。

 

もし自分がクモだとしたら、しばらく獲物がかかっていなくて、じっと待っていて、やっと虫が捕まったならば、すぐにでも捕食すると思う。

 

なぜなら生きていくためには食べることが必要だし、チャンスも限られているはず。

 

しかし実際のクモは、捕まった虫を食べずに宙吊りにしたまま、まるで保存食をぶら下げているようにしている。

 

この行動は一体なぜなんだろう?

 

クモに聞かなきゃわかるはずもない。

 

実は見てない時に他の餌が捕まって、食べたばかりかもしれない。

 

また、賢いアリのように、思うがままにすぐ食べるのではなく、いざ本当に困ったときのために貯蓄しているのかも知れない。

 

それか、虫が暴れているからしばらく身動きできないようにして、息絶えて静かになってからゆっくりと楽しもうと思っているのかもしれない。

 

いずれにしても、クモの人生のルールでは、当たり前に糸を出してそれを利用して自分の生活を成り立たせている。人間の家や道具のように。

 

あの小さな生き物の中にも、生きるという重大な経験をしていて、雨風に耐えながら一生懸命生きている。

 

まるで我々人間の人生のように、時には辛さを経験しながら、時には達成感と喜びに満足しながら、死に向かって歩んでいくように。

 

クモの人生は短い。しかしこの地上に生まれてきた以上、その世界でのルールの中で、沢山の経験をしながら生き抜くことに、なんらかの意味があるのだと思う。

 

生きることは、それぞれの個体がそれぞれの環境や状況の中で必死になって経験を踏むこと。

 

そこに成長やら進化やらがあるのだと思う。

 

小さな生き物を見ながらそんなことを考えてしまう今日この頃であった。

 

 

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動物はなぜかわいい?

最近SNSやらYouTubeやらで色んな動物動画が見ていると、どれを見てもかわいいと感じてしまう。

 

動物がかわいいのは当たり前だけど、なぜ可愛いんだろうと考えてみた。

 

人間と動物の写真や動画、何が違うんだろう?

 

動物が画面に写るだけでなぜほっこりするんだろう?

 

ある考えに行き着いた。

 

それはあの目。

 

目は多くを語るが、動物の目の奥にはけがれがない。

 

ただ純粋に生きている。

 

邪念や嫌らしさはない。

 

先の不安や心配もない。

 

今を素直に生きている。

 

そのピュアな眼差しに、我々人間は惹かれてしまうのだ。

 

なぜなら、人間は笑顔の奥底に人知れず、なんらかの思惑が表れてしまっている。

 

いや、表立ってわからなくても、誰もが感じ取ってしまうもの。

 

しかし、動物のあの黒くて丸い純粋な目の奥には、エゴはなく、その瞬間生きているピュアさしかない。

 

そのピュアな眼差しに人間にはない、愛らしさが出ていると思う。

 

人間も邪念のない赤ちゃんがかわいいように、動物はずーっと変わらずピュアなのだ。

 

実は、動物はそのピュアな生き方で愛情を受け取るようになっていると考えられる。

 

我々人間が、色んな困難に遭遇して魂を成長させるように、

 

動物は、その純粋な生き方をして人から愛情をいかに受け取るかで進化しているように思う。

 

するとやはりそこに関与している絶対不滅の真理は、

 

 

それに尽きる。

 

動物は愛を受け取りながら、静かに愛を返している。

 

人間はそのピュアな生き物を目の前にして、無償の愛を与える。

 

これがこの地上で行われている魂の進化だと私は思う。

 

愛が基本にある限り、全てが摂理に沿っていることになり、ゆっくりと進化の階段を上がっているのである。

 

そんなことを考えさせてくれる動物に感謝する今日この頃であった。

 

 

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本能について

本能とは何か?

 

人間もそうだが、獣医として動物に触れる機会が多いとふとその動物たちの行動が気になることがある。

 

本能と言ってすぐ思いつくのが、

 

食べること

寝ること

繁殖すること

 

などがあるが、さらによく考えると、

 

本能とつく言葉に

 

母性本能

闘争本能

防御本能

 

などが挙げられる

 

動物ではさらに、

 

帰巣本能

狩猟本能

 

なども思いつく。

 

しかし色んな動物で色んな行動が見られるが、特に犬や猫、馬や猿などの生物学的進化が進んだ者達は、本能行動だけではなく自分自身で状況を判断して考えられた行動がよく見られる。

 

それは、種として生まれつき持った行動性質ではなく、生まれた後に学習したり、発達した知性によって行われる行動と言える。

 

このような学習や知性は経験を積めば積むほど、さらに発達すると考えられる。

 

人間の赤ちゃんも始めは言葉を話すことも立ち上がることもできないけれど、ほとんどが経験と共にできるようになる。

 

動物達はペットとして家族の一員として迎えられると、今までの同種の世界から人間の世界に入り、色んな経験をする。

 

すると家族の表情や声を認識し、話す内容も理解するようになる。

 

まるで、心が繋がっているかのようになる。

 

これは動物特有の本能の部分ではなく、知性が働いているからであると思う。

 

だから、叱られると隠れたり、褒められると嬉しくなる。

 

やはりペットとして受け入れられる動物は、精神的にも進化していると私は思う。

 

人間が精神も含めた進化の頂点ならば、ペットは次に進化が進んでいると考える。

 

だから愛を理解し、愛を返してくれる。

 

愛という精神活動を知っていると思うのである。

 

これとは別に、進化の進んでいない生き物達は、例えば昆虫などは、本能的行動がほとんどであり、生きるために食すことと繁殖を行なっている。

 

周りから危険が迫ると逃げる防御本能も見られたりする。

 

しかし、そこまでであり、学習能力や知性は発達していないため、人間に飼われたとしても愛情を理解するまでには至らない。

 

それでも人間は生き物を大切にして愛情を込めて育てることに人間としての役割があるために、昆虫ですら飼おうとする。

 

その時は、見返りは求めない無償の愛という尊い神性を発揮しているのである。

 

人間も生き物も皆同じ地上に生まれ、進化の道を歩んでいる仲間だと思うと、そこに聖なる繋がりが見えてくる。

 

動物を見ていてそんなことを考えてしまう今日この頃であった。

 

 

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変化は常なり

心地よい風が吹く青空の下、ふと考える。

 

雲がゆっくり流れていく。

 

風がほっぺたをかすめていく。

 

周りから色んな音が聞こえる。

 

この世は常に動いていると感じる。

 

空気も雲も傾いていく太陽も

 

人も車も虫たちも

 

この世のすべてのものは常に動き続けている。

 

目に見える見えないにかかわらず、

 

決して一瞬たりともその動きを止めない。

 

見た目には止まっているように見える石やベンチも

 

全く同じ状態では存在し続けない。

 

常に変化していく。

 

我々の肉体も精神も変化を伴いながら生きている。

 

肉体は老化していき朽ちていくかもしれないが、精神や魂は高みを目指して進化し続ける。

 

紆余曲折色んな経験を通して、学び成長していく。

 

最後には、留まっている肉体から離れて魂となるが、それでもなお進化を続けていると私は信じている。

 

そして必要あれば、再度この地球上のどこかにまた生まれ、新しい修行の道を歩み出す。

 

常に最高最上を目指して終わることのない進化の階段を登り続けていくのだ。

 

外で風を感じているだけで、深い思考が始まってしまう今日この頃であった。

 

 

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光と影が織り成す世界

ふと思う。

 

我々の世界には、光と影が存在している。

 

影だけでは、真っ暗闇。

 

光だけでは、眩しすぎて逆に何も見えない。

 

それぞれがバランス良く調和しているからこそこの素晴らしい世界が認知できる。

 

もっと突っ込んでみると、

 

我々がみている周りのものは、光と影が存在しないとその色や輪郭、風合いを表現できない。

 

これがないと全部の境界が分からなくなり、個別性が保たれない。

 

色の違いも、光に含まれる波長によって変わり、いろんな色を表現しているからこそ、バラエティに富んだ世界となる。

 

また、精神的な方面でもこれらが関わっている。

 

光あるところは、精神的にも明るくなり、暗い場所では気分も落ちている。

 

だからこそ気持ちの表現では、明るい性格だったり暗く落ち込んでいるなんて言ったりする。

 

ずっと明るいままだと、活動的な状況が続くため、ホルモンバランスも崩れ疲れてしまう。

 

逆にずっと夜みたいに暗いと、これまた精神的なバランスが崩れ、何もやる気がおきなくなる。病気にすらなるだろう。

 

このようにこの世界は光と影のちょうど良いバランスで成り立っている。

 

この素晴らしい調和を与えてくれている存在に対して、感謝もなく、当たり前だと思って生きている人間が多い。

 

自分の都合に合わせて、好き勝手なことを言っている。

 

夏は暑いだとか、光が眩しいだとか、夜は暗くて外で遊べないとか、冬になると今度は日が照る時間が短くて寒すぎるだとか、言いたい放題。

 

この光と影の恩恵を無視したエゴである。

 

自然の恩恵に素直に感謝しながら、謙虚に生きようと思う今日この頃であった。

 

 

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