獣医師 関まさひろの独り言

獣医師で著者の関まさひろが日ごろ頭の中で考えてることを独り言としてアップしていきます

認識するということ

自宅で外出自粛をしている人が多い今の現状。

 

家に居て、テレビやタブレットスマホなどで時間を潰したり、テレワークやリモートでの仕事をパソコンを通じて行なっている人も多いはず。

 

スマホやパソコンばかり見ていて気づいたことがある。

 

我々は、目や耳を使って情報を得ている。

 

確かにそうだと思うが、目や耳という器官が情報認識を担っているかといえばそうではない。

 

目からは、光という光線が目というレンズを通して入り込んで来て、その情報を脳に運ぶ。

 

また、耳は音という波動を耳がキャッチしてその情報をこれまた脳に送る。

 

そしてその脳は、それらの情報をまとめて統合し、分析する。

 

つまり、脳は無差別に入り込んできた情報を受け取り、まとめる役割を果たしている。

 

そしてそのまとまった情報を良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、気持ちいいとか悪いとか感情を伴って認識しているのが我々の心、精神だと思う。

 

我々は当たり前のように無意識のように末端の各種器官から五感として情報を処理している。

 

そしてその情報に対して認識し感情を与えるのは精神意識の役割なのだ。

 

目が見えなければ、光という情報源は得られないし、耳が聞こえなければ音という情報源は得られない。

 

また脳が働かなければ、得た情報を受け取って処理することもできない。

 

すると精神や意識は反応できないのである。

 

また、もし目や耳は働いていたとしても、意識的に見たくない聞きたくないと思ったり別のところに意識を集中すると、それらの入ってきているはずの情報は反応されることなく、無視されてしまうこともある。

 

こう考えると、意識や精神が我々の脳を支配しており、五感で得られた情報を意識レベルまで持っていくかどうかを統率していると考えられる。

 

それだけ我々の精神というものが大きな存在であり、脳までもコントロールする偉大な力を持っていると言える。

 

さらに発展して考えると、その偉大な力を持っている精神が自分は病気なんだとか、自分は何お役にもたたないんだとか、今の状況がすごく嫌で逃げ出したいとネガティヴに考えると、それが脳を始め自律神経系や免疫機能にまで影響を及ぼし、本当に病気になってしまうことすら考えられる。

 

これが病は気からの本当の意味だと思う。

 

心身相関医学というものがあるが、それはこの部分に焦点を当てているのである。

 

精神が神経やホルモン分泌に密接に関連しているとなると、人間だけでなく、動物も極度のストレスが体に良くないことは明らかである。

 

我々動物の身体は、単純なものではなく、目に見える物質的な部分と同時に目に見えない精神的な部分も関与した至極複雑なものであると再認識した今日この頃であった。

 

 

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続自然の摂理

前回に引き続き、今回も自然の摂理について。

 

今回は特に病気とその治療について考えてみた。

 

なぜ我々は病気になるのだろうか?

 

もちろんいろんな原因がある。

 

今回の新型コロナウイルス感染も進化した新しいウイルスが原因となり病気になる。

 

しかしよく考えるとそもそもウイルスが原因なのだろうか?

 

この生きている地球上には目に見えないウイルスや細菌などの微生物がウヨウヨそこら中に存在している。ただ目に見えないほど小さいだけ。

 

ならばなぜ普段からその微生物に触れて吸引して体内に入っているはずなのにそれらの感染では問題にならないのか。

 

そうなると微生物側が問題なのではなく、取り入れた人間の体側に原因があるのではないのか。

 

例えば、今まで触れて馴染んできた微生物たちに対しては体の防御メカニズムが正常に働いており、必要以上に増えてしまわないように時に免疫でやっつけて時に共生して統制しているのだと考えられる。

 

つまりはお互い地上に存在する同士調和を保ってちょうど良いバランスを維持していると言える。

 

では新型ウイルスはどうか?

 

今まで知らないタイプのウイルスが突然勢力を増し、人間の防御メカニズムが対応できる前に爆発的に増えてしまった結果だと思う。

 

それは先程のちょうどいい共存のバランスが崩れ調和が乱れてしまったから。

 

その乱れを作ったのは人間なのだろうか?動物なのだろうか?ウイルスが自然発生的にバランスを超えて増え始めたのだろうか?

 

その根本として本来神に与えられたこの環境において、自然の摂理に沿って生きていれば調和が保たれていたはずではないかと思ってしまう。

 

つまり、どこかで誰かがこの自然の摂理に反した行為をしてしまったと考える。

 

それを自由に行えるのはやはりどう考えても人間しかいないのである。なぜなら人間だけが神から行動の自由意志を与えられており、自然の流れに逆らった選択行動ができるから。

 

神が他人を愛することが1番大事と人間の魂に刻み込こんでいるにも関わらず、我々はつい利己的になってしまい、他人より自分が良い生活や状態である方を望みがち。

 

微生物が悪さをする前に全滅させようと、非自然的な化学物質を無実の動物を実験台として開発して、その作られた薬で利益を得ようと考えている。

 

また、自分たちの快適な生活が送れるように、森林を必要以上に伐採し、自然豊かな海を埋め立て、食事の一部となる動物をころして食べるために飼育している。

 

一番力が強い存在だからそれでいいのだろうか。

 

本来は色んな自然の恵みに感謝して文句を言わずにありがたく恩恵を受けるはずが、だんだん自分本位の考え方で不満ばかりを口にするようになってしまった。

 

例えば神の恵みである日光も、本来は明るさや暖かさ、エネルギーを与ええてくれているのに、やれ夏は暑いといい、寒くなるとなんで日がてらないんだと文句を言う。

 

水もそう。生命の根源となる水も当たり前にあるものだと思ってぞんざいに扱っている。雨は嫌だといい、水よりもジュースがいいという。

 

空気も意識していないだけで、いざ呼吸困難などに陥ると空気の大切さを初めて知ることになる。

 

そのような自然の恵みや摂理を環境汚染や破壊で破り、摂理に反した行為を人類の進歩だと喜んで進めてきている。

 

病気から離れたが、治療もそうなのだ。本来の人間の肉体が不調になるのは、自分で原因を作っている。

 

不摂生で免疫が落ちていたり、添加物や化学物質たっぷりの食べ物をふんだんに摂取して活性酸素まみれになり、ガンやその他の病気になりやすくしている。

 

そしてそれを治すのはただの症状に対する治療だけで、それも動物実験を繰り返して生まれた化学薬品ばかりを使っている。

 

昔はそのような不自然なものが存在しなかったから、自然のものを利用して治そうとしていた。

 

もちろん今のように長生きはできなかったので、それが正しい訳ではないのかもしれない。

 

それこそ人類が長生きするための進歩だったのかもしれない。

 

しかし、その代償として昔はあまりなかった新しい病気も生まれているのは事実だ。

 

どっちがいいのかわからない。

 

長生きすることでより複雑でより苦痛を伴う病気が増えてしまったことが全体とすればいいのだろうか。

 

今では、それに追いついて追い越せるよう病気とのいたちごっこ

 

よく考えると、そもそも現代の医学がいかに進歩しようと、どれだけ手術の技術が上がろうと、絶対に死は免れない。

 

それが自然の摂理だから。

 

今の人類は自分たちで生み出した新しい病気をそれに対応する新しい薬を開発してやっつける。すると今度はまたそれで対応できない病気が生まれる。

 

しかも絶対に最後には死ぬ。どんなに高度医療を施してもわずかだけ生きながらえるが必ず死を迎える。

 

なぜなら、人間の本来の生きる目的は、この地上で本質であるところの魂を修行するために一時的に肉体という乗り物を操っているだけだから。

 

物質である肉体はいずれ歳とともに朽ち果ててくる。

 

これも自然の摂理。

 

ならば、より自然に近くて摂理に沿った方法で生きて行った方が本来の生き方に近づくのではないかと考えてしまう。

 

一日中人工の蛍光灯の下で部屋にこもっているのではなく、太陽の光を浴びてみたり、天然の自然な形の水を摂取したり、添加物や化学物質まみれじゃない自然に近い食事をとったりした方がいいのではないか。

 

今はこのようなことを考えて、人間だけでなく動物の生活にもこの自然摂理に沿った生き方を推奨したいと考えている今日この頃であった。

 

 

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自然の摂理

我々は自然の摂理に沿って生きているのだろうか?

 

この大宇宙の法則に沿って生きるとはどんな意味なんだろう。

 

絶対的法則として完璧な因果律がある。

 

つまり、我々は神に自由意志を与えられているのだが、それも摂理の範囲内での自由意志だ。

 

この地上で生きることになった我々は、物質としての肉体を利用していろんな経験をしていくことになる。

 

その中で人生における瞬間瞬間で選択と判断を繰り返している。

 

その選んだ選択が種となってその結果が実る。

 

つまり、自由意志が与えられているため、その選択判断が自然の摂理や宇宙の求めるものから外れるとそれ相応の結果としていろんなことが起こる。これが摂理の範囲内での自由意志の意味。

 

例えば、人を騙してお金を得たり、強盗をするなどということも自由意志の中で可能なのだが、その結果は絶対的因果律(摂理)が働き、命の危険に晒されたり、逮捕されて一生牢屋で暮らすことになったり、仲間に裏切られたり、それぞれのまいた種に応じた実を刈り取ることになる。

 

これを逃れることはできない。なぜならそれが絶対の法則だから。

 

もしかしたら病気になるのも、なんらかの結果かもしれない。

 

自然の摂理に反して、非自然的なものを体内に取り入れた結果かもしれないし、本来地上の同胞であるはずの他の生き物を人間の力で殺害して食している結果かもしれない。

 

今回の新型コロナウイルスも、本来食すべきでない生き物を殺して自分たちの食料にしていたから自然発生的に出てきたのかも知れない。

 

もちろんそれが本当かは誰もわからない。しかし、この問題が発生したのも必ずなんらかの原因があるなずなのだ。

 

では一体自然の摂理に沿った生き方とはどういうことなのか?

 

これは自分の考えだが、そもそも我々が地上に生まれてきた理由と関係していると思う。

 

地上では、我々の本質である霊魂がその魂をさらに進化向上するためにいろんな経験をして、修行を繰り返して成長していくためにこの地上生活を選んでいると考える。

 

つまり、魂を磨くには、本来我々が奥底に持っている神性をいかに困苦の中で発揮できるかにかかっているとも言える。

 

その神性とは、やはり「利他愛」の発揮であり、周りの存在にいかに役に立つことができるか。自分の困難に対して、自分の利益ではなく周りのためになる選択ができるか。

 

しかし、それがとてつもなく難しいのである。結局まず何よりも先に自分自身のことを優先してしまう。

 

それをよしとする考え方もあるのは確かだ。まずは自分を愛してからでないと他人に目を向ける余裕がないということらしい。

 

それも正しいかもしれないが、しかし多くの場合、自分が満足する結果を得たら、次に他人と考えられる人は少なく、成功すればするほどもっともっとと際限なく欲が出てきてしまうものだ。

 

ならば初めから自分は足るを知り、周りに目を向けていけば、並列なのではないか。

 

そんな感じで利他愛を実践していくことが自然の摂理に沿っているのではないかと考えてしまう今日この頃であった。

 

 

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花の役割

桜が綺麗に咲く季節になった。気温も天気も良くなり、気分も晴れ晴れするようだ。

 

一人山の中を歩いていると山の自然の中に桜の花をはじめ色とりどりの花が目に入る。

 

その一つ一つを見ながら頭にある考えが浮かんできた。

 

花は一体何のために存在しているのか。

 

桜の木ひとつとっても、今の季節のほんのわずかな期間しかあの綺麗なピンク色の花を咲かせない。

 

そのほかの多くの期間は葉っぱや木の枝だけで存在している。

 

しかしその中にでもしっかりとした生命の息吹をかんじる。静かにそして力強く。

 

じっくりじっくり生命の力、エネルギーをた

ため込み、春のこの一瞬にそのエネルギーを一気に外に放出している。

 

では何のために。

 

そうこの地上に存在するもの全てはそれぞれに役割や目的があると信じる。

 

決して人間だけが生きる役割や目的を持っているのではない。

 

花はそれぞれに季節の変化を周りに示してくれている。

 

季節の変わり目とは言えずとも、少なくともこの世のものは常に変化し続けていることを教えてくれている。

 

我々が自分では気づかないことを花たちの変化で示してくれている。

 

花が蕾をつける時、その中の偉大な生命エネルギーを感じ、人間を含めて全ての種が同じようなエネルギーに満ち溢れていることを感じさせてくれる。

 

花それ自体はもしかすると単に進化の過程として、種の存続のために変化しながら、自分の命をながらえているだけかもしれない。

 

しかし、それも全て単一でのことではない。必ず周りの存在になんらかの影響を与えているのだ。

 

綺麗な魅力的な花を咲かせることでハチやチョウなどの虫を呼び寄せて、虫たちの生きる糧を与えているし、同時に花の花粉も運んでもらって種を切らさないようにしている。

 

影響を与え合いながらこの世を共生している。

 

人間も同じように周りの存在に感謝をしながら生きていき、できれば綺麗な花のように周りに魅力的に写るように生きていきたいと思う今日この頃であった。

 

 

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純粋に生きる

園児が公園で駆け回って遊んでいる。

 

彼らは無心に駆け回っていてその先の目的は考えていないように見える。

 

我々大人はなんらかの目的がないと不安が先にtたち動けないことが多い。

 

しかし子供は走る先に何があるともなくただ走り回り楽しんでいる。

 

ちょっとした発見や遊具の楽しみ、今その瞬間何か楽しそうなものを見つけて純粋に遊ぶ。

 

人間関係の心配もない。一緒に意味もなくかけっこしたり、一人で鉄棒を触っている子もいる。

 

公園の木の周りを幹を触りながら何回も回っている子もいる。

 

純粋に今を生きているのだ。

 

ペットも同じだと思う。

 

今その瞬間に考えたこと、楽しいこと、嬉しいことを体全体でピュアに感じている。

 

このような心配や不安や先の見えない恐怖の考えを持たないで純粋に生きていることを堪能したいと思う今日この頃であった。

 

 

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他との関わり

我々はたった一人で生きていくことはできない。

 

必ず周りの人や動物や植物やその他の生き物となんらかの形で関わり合っている。

 

つまりお互いに影響を与え合って生きていくしかないのだ。

 

植物の生み出す酸素がないと人は生きていけないし、土壌に住み着いている虫や微生物がいないと、土壌も良くならず作物も取れない。

 

草木は季節の変化を教えてくれる役割も果たし、人間生活のバランスをとってくれている。

 

今話題になっているウイルスだったり細菌にしても本来はお互いのバランスと調和の上で共生しており、よく知るところでは、腸内細菌がいるが、消化や分解の助けになっている。

 

人間がその絶妙なバランや調和を崩すため、どちらかが優位になると、バランスを戻そうとして一生懸命勢力を持ち返そうとする。

 

それが度を越すと、抗生物質に対抗する耐性菌だったり、今回のような新型のウイルスとなって人間の利己的な勢力を押し戻そうとするのだと考える。

 

このように、この地球上では全てが完璧で絶妙なバランスで成り立っているのである。

 

それを一方的に崩すのは多くは人間である。

 

人間だけが神から自由意志を与えられ、自然の摂理の範囲内で独自の選択をして行動できる。身勝手な行動さえ取れるのだ。

 

最初に細菌を殺す抗生物質や消毒薬などの化学薬品を作り出したのも人間だし、調和の概念を超えてちょっとでも悪さをする存在を抹殺しようとする。

 

そりゃ、される側はたまったものではない。

 

必死になって抵抗するわけだ。

 

人間同士でも攻撃する敵国に対抗するというのに。

 

自然のバランスを取り戻すためにはそのようなことが起こりうる。

 

結局は自分たち人間だけという狭い利己主義から抜け出し、この世に存在するあらゆる生き物との共存を意識してお互いが調和しあってこそ、自然の法則に沿っている生き方だと言える。

 

そんな完璧な自然の摂理に沿った生き方を心がけようと思う今日この頃であった。

 

 

 

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お笑い芸人

今お笑いが再び盛り上がっている。

 

お笑い第7世代なんて言葉も流行ってきていて、若手の元気で面白い芸人が連日テレビで活躍している。

 

彼らは、自分の使命として人を笑顔にすることを生きがいにしている人たちだ。

 

そんな彼らの存在は、今の色んな問題を抱えて落ち込んでいる人達に笑顔という元気を与えてくれている大切な存在と言える。

 

よく、幸せになるためには笑顔でハッピーな状態でいるといいと言われる。例え現状で悩んで落ち込んでるとしても無理にでも笑顔を作っていると状況が好転すると言われている。

 

しかし、それを実行するにはなかなか難しい。目の前の真っ暗な心配や不安が先に立ちそれどころではないからだ。

 

そんな時に、お笑いが少し力になってくれる。

 

何気なくテレビを見て、ボーッとお笑い番組でも見ていると、つい内容に触れるうちに、思わず笑ってしまう。

 

その効果は絶大で、さっきまで泣きそうなくらい悩んで心配していたことが一瞬にして笑いに変わってしまう。例えそれがほんの一瞬のことだとしても、その明るくなれる瞬間が大切だと思う。

 

笑うことは医学的にも良い影響を与えるとも言われている。

 

体が緩み、張り詰めていた神経の緊張が解けることで、身体のシステムがうまく回り出す。

 

さらに言うと、心配や不安や取り越し苦労は、物質的な肉体だけでなく、我々のもう一つの存在である魂にとってもよろしくないと信じている。

 

いつも不安の念にかられてネガティヴな心でいると、自分を守って導いていてくれる背後の存在すら力添えできなくなるとも言われている。

 

結局のところ、自分の人生は自分の自由意志での選択の連続でできている。

 

つまりは自分で自分の心を決めるしかない。

 

そんな状況だからこそ、少しでも心を明るくしてくれるお笑い芸人たちは、偉大だと思う今日この頃であった。

 

 

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