獣医師 関まさひろの独り言

獣医師で著者の関まさひろが日ごろ頭の中で考えてることを独り言としてアップしていきます

自然の摂理

我々は自然の摂理に沿って生きているのだろうか?

 

この大宇宙の法則に沿って生きるとはどんな意味なんだろう。

 

絶対的法則として完璧な因果律がある。

 

つまり、我々は神に自由意志を与えられているのだが、それも摂理の範囲内での自由意志だ。

 

この地上で生きることになった我々は、物質としての肉体を利用していろんな経験をしていくことになる。

 

その中で人生における瞬間瞬間で選択と判断を繰り返している。

 

その選んだ選択が種となってその結果が実る。

 

つまり、自由意志が与えられているため、その選択判断が自然の摂理や宇宙の求めるものから外れるとそれ相応の結果としていろんなことが起こる。これが摂理の範囲内での自由意志の意味。

 

例えば、人を騙してお金を得たり、強盗をするなどということも自由意志の中で可能なのだが、その結果は絶対的因果律(摂理)が働き、命の危険に晒されたり、逮捕されて一生牢屋で暮らすことになったり、仲間に裏切られたり、それぞれのまいた種に応じた実を刈り取ることになる。

 

これを逃れることはできない。なぜならそれが絶対の法則だから。

 

もしかしたら病気になるのも、なんらかの結果かもしれない。

 

自然の摂理に反して、非自然的なものを体内に取り入れた結果かもしれないし、本来地上の同胞であるはずの他の生き物を人間の力で殺害して食している結果かもしれない。

 

今回の新型コロナウイルスも、本来食すべきでない生き物を殺して自分たちの食料にしていたから自然発生的に出てきたのかも知れない。

 

もちろんそれが本当かは誰もわからない。しかし、この問題が発生したのも必ずなんらかの原因があるなずなのだ。

 

では一体自然の摂理に沿った生き方とはどういうことなのか?

 

これは自分の考えだが、そもそも我々が地上に生まれてきた理由と関係していると思う。

 

地上では、我々の本質である霊魂がその魂をさらに進化向上するためにいろんな経験をして、修行を繰り返して成長していくためにこの地上生活を選んでいると考える。

 

つまり、魂を磨くには、本来我々が奥底に持っている神性をいかに困苦の中で発揮できるかにかかっているとも言える。

 

その神性とは、やはり「利他愛」の発揮であり、周りの存在にいかに役に立つことができるか。自分の困難に対して、自分の利益ではなく周りのためになる選択ができるか。

 

しかし、それがとてつもなく難しいのである。結局まず何よりも先に自分自身のことを優先してしまう。

 

それをよしとする考え方もあるのは確かだ。まずは自分を愛してからでないと他人に目を向ける余裕がないということらしい。

 

それも正しいかもしれないが、しかし多くの場合、自分が満足する結果を得たら、次に他人と考えられる人は少なく、成功すればするほどもっともっとと際限なく欲が出てきてしまうものだ。

 

ならば初めから自分は足るを知り、周りに目を向けていけば、並列なのではないか。

 

そんな感じで利他愛を実践していくことが自然の摂理に沿っているのではないかと考えてしまう今日この頃であった。

 

 

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