獣医師 関まさひろの独り言

獣医師で著者の関まさひろが日ごろ頭の中で考えてることを独り言としてアップしていきます

選択の連続

我々はいつどんな瞬間でも選択と判断を繰り返している。

 

今イスに座ろうと思って座るのも、そうすることを選択し決めたから。

 

そう考えると、我々の人生そのものが選択の連続で出来上がっていると言える。

 

人生の中でもちろん大きな岐路に立たされることがある。そのような重大な選択決断もあるが、今日はどの服を着て行こうとか何を食べようなんていう他愛もない選択決断もある。

 

さらに人生について考えると、自分自身の選択に関しては自由意志であり、人間だけが神から与えられた特権と言われている。

 

そう考えると、自分の意思決定はその種を巻いた結果を自分で刈り取ることになる。決して他人の選択と結果ではない。

 

結局自分の人生に起こること全てが自分の自由意志で決めたことが結果となって現れていると言うことになる。

 

その連続が人生。

 

ペットを飼うのも自由意志。

 

ペットにどんな食事を与えるかを決めるのも自由意思。

 

ここにはペットの選択権はない。

 

ペットは、唯一その食事を食べるか食べないかを決めるだけ。近頃ビタミンが不足してるしお肌が荒れてるからしっかり栄養とろうなどと考えてはいない。そのような複雑な思考は無しに動物的本能で決める。

 

たまに本能的な学習によって、この食事を食べなければ別のおいしいものを出してくれることを知り、学習し、わざと食べないようなこともある。

 

これは人間のような自由意志による選択ではなく、ただ目に前の与えられた状況において、本能的に行動をしているのである。

 

人間はもっと進化が進んでいるため、宇宙の絶対的な法則の範囲内で、自由意志が与えられている。

 

そのため、本来持っている内部の神性を発揮して人のために行動するという選択をすれば神の摂理に沿っていることになる。

 

しかし、逆に自分自身の利益のために選択行動するという選択もこの自由意志のためにあり得る。そうすると、摂理に反した行動となってそれに見合った結果がついてくる。

 

つまり、同じ状況にある二人の人が違う選択をしその結果違う結末を迎えることが起こりうる。

 

しかもその道を選んだ先にも複雑に絡み合う選択の連続があるので数え切れないほどの道筋が存在することになる。

 

そう考えると、我々が運がいいとか運が悪いという考えも、結局は自分が選んだ選択の結果が良いか悪いかということで、全ては自分が選んだことなのである。

 

決して神様が罰を与えたりしているわけではない。

 

これを肝に命じて毎日の生活を送っていきたいと思う今日この頃であった。

 

 

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