獣医師 関まさひろの独り言

獣医師で著者の関まさひろが日ごろ頭の中で考えてることを独り言としてアップしていきます

和をもって尊しとなす

 

聖徳太子の十七条憲法に出てくる言葉。

 

近頃この地球上では、技術革新や最先端技術が開発され、各国こぞって我先にとその技術を利用したがっている。

 

特に先進国はお金をつぎ込んで新技術の応用をどこよりも先にと躍起になっている。

 

その向上心や進歩への姿勢という意味ではすばらしいことだと思う。

 

しかし、現実はその背景に利己主義が蔓延しているように思えてならない。

 

新しい技術をお金を持つ国が率先して人類全体が進歩するように開発応用した物を平等に分配すればいいのだが、実際は先行利益を確保するために頑張っているとしか思えないのである。

 

特にかつての原子力の発見は、それを人類みんなの生活向上や進歩に向かうどころか、自分の国以外の民族を排除するための兵器として使用していた。

 

これを利己主義と言わずして何というのか。

 

インターネットの普及がここ近年凄まじく、全世界に行き渡っている。

 

これはいい事なのかもしれない。

 

でも、そのインターネットを利用して敵の情報を盗んだり、サイバー攻撃などで依然同じ人類を攻撃しようとしている。

 

結局自分が正しく他は間違いという、自己中心的発想でしかない。

 

それが個人ではなく国家レベルなのだ。

 

領土にしてもそう。

 

やれこの土地はうちも国のものだ。

やれその島はこっちの島だ。

 

結局利益を自分のものにして他には渡さないという発想。

 

前置きが長くなってしまったが、

文頭にかいた聖徳太子の「和をもって尊しとなす」

 

この言葉が、最近のニュースを見てふと思い浮かんだ。

 

この言葉の意味は、日本的「和」の発想で、みんな仲良く争い事をせず調和を目指すのが良いということ。

 

その調和つまり優しさや思いやりの上に立つ美しいハーモニーが大事だと思うのである。

 

そもそも我々人間は、神性を持って生まれてきていると私は信じている。

 

その神性は利他愛そのものである。

 

それをこの人生の中で発現できてこそ、魂が向上進化し、本来の人生の目的を達成できる。

 

そんな利他愛の表現である「和」が忘れつつあると思う。

 

日本人である我々ですらその和の心が薄れて他よりも自分の優れていることを誇示して競争に勝ちたいと思う傾向にある。

 

本来は自分の持つ能力はが優れていればそれを自分の利益のためでなく、他の困っている人たちのために分け与えるべきなのである。

 

そしてできるだけ多くの人の役に立つ事を最優先すべきだと思う。

 

また「和をもって尊しとなす」のもう一つの意味に、しっかり議論するという意味もある。

 

つまり和をなすために、同調や協調が必要であるということ。

 

これは、争いをなくし同志が仲良くするために必要なのである。

 

いまだに戦争やら報復やらがなくならない地球。

 

物質的には進歩しているが、人間、魂的には正しい方向に進歩しているとは言えないと私は思う。

 

力の種は力の実をつけ、流血の種を撒けば流血の実がなる。

 

愛のある美しいハーモニーの実を刈り取るには、愛のある美しいハーモニーの種を撒くしかないんだと思う今日この頃であった。

 

 

 

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