獣医師 関まさひろの独り言

獣医師で著者の関まさひろが日ごろ頭の中で考えてることを独り言としてアップしていきます

思念の源

普段我々は何気なく日常を過ごしているように思えるけれど、常に何かを思考している。

 

全く無心でいることは少ない。

 

活動している限り、何か頭の中に思念が湧いてきているのだ。

 

初めて瞑想した時にはそれがわかった。

 

集中しようとすればするほど、関係ないことやたわいもないことを考えてしまう。

 

無心なんて程遠い。

 

ではその思考や思念はどこからやってくるのだろうか。

 

我々人間は、特に何かを考えようと努力しなくても、感覚や状況や感情など、その時その瞬間に応じて勝手に思考が始まる。

 

ぼーっとソファーに座っている時でも、首が凝ってるなとか、鼻の頭が痒いとか、トイレに行きたくなったとか、ひっきりなしになんらかの考えが浮かんでくる。

 

それが生きていると言うことかもしれないが、時には思念しない静寂を味わってみたいとも思う。

 

しかし、そんなたわいもない思考ならいいが、人生においては重要な選択や決断をしないといけない事がある。

 

そんな時に、色々と思考するわけだが、結局悩んだり葛藤したりしてしまうことも多々ある。

 

そうこう考えると、思念の源はなんなのか。どこから思念が湧いてくるのか。

 

もともと我々人間がこの地上に生まれ出てきた意義は、本来の魂の修行をするため。

 

いろんな困難を乗り越えてもっと成長し魂のレベルを上げるため。

 

そして、愛という素晴らしい真我を持って生まれてきたと思う。

 

もともとはその真我に沿って生きるように決めて産まれるが、今世の目的をあえて忘れるようになっている。

 

そして人生を歩むうちにいかにその真我である愛を発揮できるかで進化が促されることになる。

 

つまり、当初の思念や思考もその真我から発生しており、本来は全て愛のある考えであるはず。

 

しかし、物質界の影響で利己的な考えやもっと楽な方へという欲望が強くなり、魂が試されることになる。

 

すると、本来ぽっと発生した思念の種が表面に出るまでの間に変化し歪んでしまい、人それぞれの環境や状況に応じて違った発現の仕方になる。

 

エゴの強い自己中心的な影響を受けると本来の利他愛の思念の種が全く逆に形を変えてしまう。

 

いかに本来の利他愛の種を保存し表面に発現できるかが修行でもあり、進化への気づきであると思う。

 

よく漫画や話の中で、自分の中の悪魔と天使、もしくは良い部分と悪い部分が言い争って現実の自分を葛藤に陥れている描写がある。

 

これもある意味本来は内部の神性を発揮するための修行であり甘いささやきにいかにブレないで発揮できるかを試されていることを表現していると言える。

 

常に我々はこのような自分に甘い誘惑と闘っているのである。

 

もしそれが、自分だけでなく多くの人や生き物に役に立つことであればいうことはない。

 

しかし、自分一人が良ければ他人はどうでも良いという考えや思念になると、魂は成長できないことになる。

 

なので、思念の源は神性を踏まえた愛のある考えがだんだん形を変えてしまうことを頭に入れながら、その甘い罠に引っかからないように思念行動できたらいいと思う今日この頃であった。

 

 

ホームページも訪れてみて下さいね。

https://www.sekimasahiro.com