獣医師 関まさひろの独り言

獣医師で著者の関まさひろが日ごろ頭の中で考えてることを独り言としてアップしていきます

人の器ってなんだろうって考える。

 

器が大きいとか小さいとかいうけど、器とはなんなのか。

 

いわゆる器量や度量のこととは思うが、具体的にはわからない。

 

自分なりに考えてみる。

 

器というぐらいだから、なんかの入れ物?キャパシティ?

 

人間で言うと、やはり心や精神的な余裕のことだと思う。

 

人は誰でも自我やエゴと言った自分視点でものを見てしまいがち。

 

しょうがないと思う。やはり自分には自己顕示欲や承認欲求ってものがあるから。

 

誰かが自分の意見とそぐわないと、つい自分の方が正しいと正当化したくなる。

 

しかしこれは、自分(が)正しいという思い込みで我なのである。

 

良く考えてみると、本当に全部自分の意見や考え方が正しいのか。いや人それぞれの見方があっておかしくない。

 

それを知らずに自分の我を通そうと相手と言い争いになるから良くないと思う。

 

どんなに理不尽なことを相手が言ってると思っても、その言い争いの最中は自分しか見えず、自分の言いたいことだけ並び立てる。

 

相手の視点や言い分をきちんと受け入れて吟味する余裕などない。器が小さくなっている。

 

そんな状況でいつでも冷静で俯瞰して見られ、相手の立場と視点で一度考えて受け入れられるような器の大きさがあれば、争いも起こらないし、逆に思いやりや愛すら出てくるかも知れない。

 

つまり、器の大きな人は、一方的な自我ではなく、相手の意見も一度受け入れて、それから冷静に対処できる人だと思う。

 

さらに進化すると、どんな理不尽なことでも相手が言い出すということは、結局何らか自分にも悪いところがあって、その種を撒いた結果、今の状況を刈り取ることになっているんだと、さらに大きな視野で考えられる。

 

それはそうだ。相手が自分の気に入らない部分が目につき、それを言ってくるということは、少なくとも相手にとっては自分のある部分が悪かったということになるからだ。

 

そして、逆にそれに気づかせてくれてありがとうという感謝の気持ちが出てくる。

 

この域に達すれば達人だ。

 

次には、笑顔で「あなたのおかげで自分が成長できました」と言えるようになれたら素晴らしい。

 

そんな人生の達人になりたいと思う今日この頃であった。

 

 

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